ぱすてる通信 vol.1 創刊号(1993.3発行)
  1. 「パステルの10年」  飯田貴子




「パステルの10年」  飯田貴子

 ジャズ体操、ジャズダンス、ジャズ・・・やたらと頭にジャズがついた時代でした。体操やダンスの専門家だけのものだったレオタードを、普通の女の子やおばさん達も身に付け出しました。
 そんなある日、職場での昼食タイム。
「ジャズ・・・教室に申し込みに行ったけど、いっぱいで3ヶ月待ちなの。」
「そうね。『午前中はあいてます。』って、言われたけれども私たちは仕事があるしね。」
この会話を耳にした私は、「私で良かったら、一緒に体操しましょうか。」
 木曜日の放課後、短大や本部の若手職員、小・中・高等部の教員、近隣の同窓生が短大の体育室に集まり、レッスンが始まりました。動くことが大好きな人、運動不足の人、将来の演劇家を目指している人、思いはそれぞれでしたが、休まずに楽しくやっていました。
 ほぼ1年が経過したある日、松本迪子先生が、
「体操フェスティバルに出場してみませんか。あなた方のようなグループの人の大会ですよ。」と、声をかけて下さった。
 グループの名前は、「パステル」。「さわやかなメンバーがパステルCollorを連想させる?」。「ヒーロー」の曲に、かなりハードな動きを振り付け、練習し、2回大会に参加したのが始めてでした。  あっという間の10年間。
 1986年、短大は住吉から泉ヶ丘に移転し、素敵な体育館ができ、一面がオール鏡の明るい体育室にて、パステルの活動は続きました。泉ヶ丘に来てからは、職員や同窓生だけではなく、短大の近くの人々もメンバーに加わり、一層、輪が広がってきました。そして、メンバーの平均年齢も少し上がってきました。体操の内容も、ジャズっぽいものから、自然でリズミカルな動きに変わってきました。
 1990年には、帝塚山体操クラブ・パステルの名のもとに、会則を決め、役員を決め、クラブの組織も強固になりました。
 昨年、パステルの活動が10年目を迎えました。「10年を記念するイベントを企画しよう。」と役員の方に持ちかけたところ、皆さんが早速動き出してくれました。
 1993年3月7日 “帝塚山体操クラブ・パステル 10周年記念”
           “ぱすてる通信 第1号の発行”
 皆が、それぞれの良さを発揮して出来上がったものです。パステルの大切なメモリーがまたひとつ増えたことを、メンバー全員で喜びたいと思います。
    最後になりましたが、つきなみな言葉ですが、パステルの活動を支えてくださった方々に心から感謝いたします。



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