ぱすてる通信 vol.9 (2001.3発行)
  1. 「女性とスポーツ」〜21世紀の幕開けに〜  飯田貴子




「女性とスポーツ」〜21世紀の幕開けに〜 飯田貴子

T.私を中心に

 ぱすてる通信に「女性とスポーツ」に関することを書くのは、これで3度目です。最初は、4号「ジェンダー探し」(1996)、2度目は7号「スポーツと女性のエンパワーメント」(1999)で、これらを読むと私がこの数年にしてきた仕事が概ねわかります。それで今回は、1999〜2000年を振り返ってみたいと思います。
 大きな変化は、私と同様の想い(スポーツをとおしての女性のエンパワーメント)を抱く仲間のネットワークができたことです。スポーツに関わる女性を支援する会、NPO法人ジュース(JWS:Japanese Association for Women in Sport、http://www.jws.or.jp)が立ち上がり、そのメンバーとともに活動することが多くなりました。
 1999、2000年の夏は、国立婦人教育会館でのジェンダー・女性学研究会でワークショップを開催しました。このワークショップは、スポーツの分野だけでなく、あらゆる領域「教育」「政治」「経済」「環境」「介護」「DV・セクシュアルハラスメント」「メディア」…にわたって全国から各々の課題をひっさげて元気な女性たち+男性たち等が集います。1999年は、行きの新幹線で堺女性問題市民懇話会の人たちと出会い、それが縁で2001年の「さかい男女共同参画週間」では、「スポーツ、身体〜ジェンダーからの解放と拘束」のワークショップの助言者としてお手伝いすることになりました。
 2000年6月は、ヨーロッパ女性会議(EWS)に出席するためヘルシンキに行って来ました。EWSには、体操フェスティバルOSAKAを通じて知り合ったフィンランドの体操仲間も大勢参加しており、彼女たちが「女性とスポーツ」の発展のためにEWSを組織、運営し、発言する姿を目の当たりに見て、より連帯感が深まった思いがしました。EWSの最終日には、各セッションで討議された内容を軸に、参加者によって「Helsinki Spirit(ヘルシンキ・スピリット)2000」(スポーツにおける男女平等を促進させるための勧告)がまとめられ、自国の活動指針にと即座に冊子を作成して全員に配布され、いたく感動しました。帰国後、早速ゼミで世界の情報をと、学生と共に英語と格闘しその勧告内容を読みました。JWSの仲間との海外での時間の共有(珍道中)は、互いの意識が仲間から同志へと進んだ気がします。
 研究に関しては、吉川康夫先生との共同研究で「スポーツと性暴力」(帝塚山学院大学人間文化学部研究年報2号、2000)、Ann M. Hall著「Feminism and Sporting Bodies」( 世界思想社より翻訳出版予定、2001)、JWSの仲間との「女性スポーツ白書」(大修館より出版予定、2001)があげられます。
 「女性スポーツ白書」は、日本の「女性とスポーツ」を取り巻く環境についてのデータ・ブックです。私は、「メディアに見る女性とスポーツ」を担当しました。調査の結果、新聞のスポーツ欄やテレビ報道は圧倒的に男性のスポーツで独占されており、女性のスポーツ報道が現実の活動より少ないこと、女性のスポーツでメディアが好んで取り上げるのは、テニス、スケート(フィギュアを含む)、水泳(シンクロを含む)等で、スポーツ種目の中でも女らしさを逸脱しない、むしろ女らしさを補強するような種目であることがわかりました。この事実は、何を物語っているのでしょうか。一つには、スポーツは男性が行う文化であり、女性が男の世界に参入してきても所詮二流のプレイヤーにしかなれないこと、二つには、性別役割分業は身体的・生理学的にみて至極当たり前のことなのだ、というメッセージを読者に伝達しているのです。
 一般紙、スポーツ紙の運動部記者における女性記者数も調べてみました。全運動部記者中の女性記者数は、朝日では4/69名、毎日では3/50名、読売では3/83名、日経は0/24名でした。これでは、女性の視点に立った報道ができないのは当然です。メディアに女性の声を反映させるためには、新聞社や放送局に男女がフィフティ・フィフティに働き、しかも女子アナではなく、情報を取捨選択できる管理職に多くの女性を送り出さねばなりません。そして、読者や聴衆の立場でできることは、メディアを監視(メディア・ウォッチ)し、その結果を絶えず報道側に送り続けて改善していくことです。
 まだ本のタイトルは正式に決定されていませんが、出版されたらぜひ目を通してください。グラフや表の作図はすべてパステル・メンバーの岩出さんによるものです。この場を借りてお礼を言わせて頂きます。「ほんとうにありがとう」

U.世界の流れ

 昨年のシドニーオリンピックは、女性がオリンピックに参加して100年目ということで「女性とスポーツ」に関する話題が随分取り上げられました。オリンピック開会式の聖火ランナーもすべて女性であったことをご記憶でしょう。
 スポーツ界での男女平等運動も第2波フェミニズムに連動して台頭してきました。
 1979年の国連「女子に対するあらゆる形態の差別の撤廃に関する条約」(通称:女子差別撤廃条約)の第10条に「スポーツ及び体育に積極的に参加する同一の機会」、第13条に「レクリエーション、スポーツ及びあらゆる側面における文化活動に参加する権利」がうたわれています。世界の多くの国がこの条約に批准しているわけですから、条文に従った国の施策が迫られています。
   スポーツ界では、1994年イギリスで開催された世界女性スポーツ会議で、「どのようにして、スポーツにおける性の平等に向けた変革を加速させるか」が協議され、会議が行われた地名に因んだ「ブライトン宣言」が出席82カ国で批准されました。以後、「女性とスポーツ」国際ワーキング・グループ(IWG)、IOC(国際オリンピック委員会)女性スポーツ会議等の活動が一挙に高まってきました。例えば、IOCでは、2000年末までにNOC(国内オリンピック委員会)やIF(国際競技連盟)の意志決定機関に所属する女性の割合を10%に、2005年末までには20%にすることを約束しています。日本は、2008年オリンピックの招致に立候補しているにもかかわらず、JOC(日本オリンピック委員会)理事は1名(4.3%)だけという有様です。
 そして、1995年第4回世界女性会議/北京会議の「行動綱領」、第4章 戦略目標及び行動の中に、スポーツ及び身体活動に関する項目として、教育とトレーニング、健康、女児のスポーツ参加が入れ込まれました。つまり、スポーツ界だけでなく世界的なムーブメントとして、スポーツにおける性の平等を推進していく基盤が国際文書として成立したのです。
 1998年の第2回世界女性スポーツ会議/ナミビアでは、ブライトン宣言がどのように生かされているか、その進捗情況が報告されました。昨年、私が出席しましたEWSの「ヘルシンキ・スピリット2000」も、ブライトン宣言を軸に新たな課題が提言されています。このように、一足遅れてスタートした「女性とスポーツ」ムーブメントの歩みも、21世紀には弾みがつき、スポーツ界での性の平等が前進することと思われます。
 そして、NPO法人ジュースは、2006年の第4回世界女性スポーツ会議を日本へ招致することを視野にいれて、今年、2001年6月9日、10日に第1回アジア女性会議を大阪・国際交流センターで開催します。私も、「アジアでの女性とスポーツの情況を調査する部会」および「ワークショップ・スポーツにおけるジェンダー・エクイティを阻害する現象・システムの検証」の担当者になっています。アジア女性スポーツ会議を機会に、スポーツに関わる女性のネットワークが大阪から日本各地へ、さらにアジアや世界に広がっていくものと確信しています。
 皆さんも是非アジア女性会議には参加し、「女性とスポーツ」発展の歴史の一翼を担ってください。大勢の仲間たちと一緒に「大阪宣言」を練り上げていきましょう。私のネットワークの基盤は、「パステル」なのですから。

   最後に、21世紀における「女性(多種多様な)とスポーツ」の課題を、來田・田原論文(2000)から引用し、揚げておきます。
@ スポーツに関わる意志決定機関における女性の増加。
A 男女両性のニーズに応えられるスポーツ組織やルールの確立。
B 女性のリーダー、コーチ、審判、選手などを養成するプログラムの確立と実証、またそのための資金の増強。
C 女性とスポーツに関わる地域・国・国際レベルでのネットワークの強化。
D スポーツにおけるセクシュアル・ハラスメントの実態解明と対策。
E 少年・少女が平等に質の高い体育教育を受けられるようなカリキュラム上の位置づけや教材開発に向けた取り組み。
F 女性スポーツに関して、適切なイメージや正しい情報がマスメディアを通じて伝達されるよう推奨するとともに、女性のスポーツジャーナリストを育成すること。
G 社会における両性の平等について、スポーツ界から働きかけを行うこと。

文献・資料
1) 來田享子・田原淳子「女性スポーツ−これまでの100年、これからの課題」、体育科教育、1月号、30−33頁、2001.
2) アニタ・ホワイト「女性とスポーツ:なぜ、ネットワーキングが重要なのか」、生涯スポーツ京都フォーラム資料、2000.12.16.




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