3月の東北の地震で、ここ群馬県でも激しい揺れでした。あの阪神淡路大震災を思い出させる揺れでした。
私はその時、新潟の長岡市に居たのですが、新幹線も止まり、夫婦共に帰宅困難者になり丸一日半戻れず・・・
余震も続く中、家では子供だけで一晩過ごさせたりして大変でした・・・。
その後も計画停電を経験したり・・・(夜、灯りのない街ってすごく不気味です)色々ありました。
地震の時、なかなか携帯が繋がらない中バレー部の同級生が心配して連絡をくれました。感謝です!!
 そんなこともあり、やりたい事が出来るうちになんでもチャレンジしようと思い、5月から25年ぶりにバレーボールを始めました!!
体力は衰えているのですが、身体は覚えていてなんとか動けています。是非いつかは、バレーボールの集いに参加したいと思います!!
(吉野 聖子 /旧姓:林)

 9月に入り秋雨前線が張り出し一時は涼しくなりましたが、また30度を超える暑さが戻ってきた一日でした。
 帝塚山学院短大バレーボール部卒業生8組、飯田先生と縁の深い大学卒業生7組が参加し、健スポ研究室の藤野さんの交えて、総勢18名が3チームに
分かれてバレーボールを存分に楽しみました。
 普段からバレーボールをされている方々はもちろん素晴らしいプレーでみんなお魅了していましたが、そうでない方々もさすが!!床にボールを落として
なるものかとボールに食らいついて、バレーボールの神髄はこれだ!とばかりに好プレー、珍プレー?!が続出、数々の熱戦が繰り広げられました。(笑)
 また、バレーボールだけでなく、銘々に飯田先生や吉川先生とお話したり、同期や先輩後輩との久々の再会で話が盛り上がったりと夕方まで目一杯楽しい時間を過ごされたようでした。私自身も、一年に一度のバレーボールを存分に楽しませてもらい、皆さんとの再会で元気をたくさん頂きました。
 最後になりましたが、「バレーボールの集い」のために尽力していただいた藤野さん、本当にありがとうございます。
 短大を卒業して19年目、帝塚山学院にお世話になって20年を過ぎたんだなぁと感慨にひたるとともに、この「バレーボールの集い」の存在について考える
大切な一日となりました。


短大 平成5年卒 在木美粧

2011年9月11日(日)

参加者
<教員>飯田貴子 吉川康夫

☆ホームページへの掲載を許可頂いた方のみ、掲載しています。
★掲載希望なのに掲載されていない方、希望していないのに掲載されている方は、

<健康スポーツ学準備室>藤野理沙
<短大バレー部卒業生/人間文化学部 飯田ゼミ卒業生/他、家族や子供たち> 
20

ご案内メールを送りましたアド レスへご連絡お願い致します。

 2011年度、バレーボールの集いにご参加頂き、ありがとうございました。
 今年度より帝塚山学院大学、健康スポーツ学研究室でお仕事させて頂き、バレーボールを通して皆さんにお会いできたこと、とてもうれしく感じております。
3時間と短い時間ではありましたが、皆さん楽しい時間を過ごして頂けましたでしょうか。
 来年度は、皆さんそして今回参加できなかった方にもお会いできるのを楽しみにしております。ありがとうございました!!

健康スポーツ学研究室 藤野理沙

 恒例の「バレーの集い」は、大学のキャンパス見学会に合わせて開催いたしました。以前は、お盆休み明けの日曜日に開催していましたが、帝塚山学院住吉高校のバレーOG会と重なるため、最近は9月のキャンパス見学会に行うことになっています。
 また、数年前からはe-mailでの案内に切り替えました。全ての方にお知らせするのは難しいので、全学年にはいきわたるよう努力しております。
今年は、健康スポーツ学研究室の新たなメンバーの藤野理沙さんを中心に、在木美粧さんに協力をしてもらい案内をしました。
 この集いでは、毎年楽しみに参加して下さる常連組、やっと今年は参加できましたという懐かしい方、家族と一緒に来て下さる方、
そして近況報告をして下さる方々の輪が、バレーを通して繋がり続けています。
 それで今年はいったい何回目だったのでしょうか。皆さん記憶を遡ってみてください。 こんなことを考え始めるのは、きっと歳のせいですね。そう、この「バレーボールの集い」を私が大学にいて開催できるのも残り少なくなりました。
もちろん、「バレーボールの集い」は継続してもらいたいし、私も元気なうちは参加したいと思っています。
 11月には、9月に集まることができなかった昭和56年卒のメンバーがミニ同窓会を開いてくださいます。その時の様子もこのHPでお知らせしますね。
それでは、また来年。
         

飯田貴子

 新聞記者になって5年目。若手が多いうちの会社では、いよいよ「下っ端」の顔だけでは済まされなくなってきました。3年弱続けた「サツ回り」(警察担当)を半分だけ卒業し、今は上冨田町という小さな自治体もカバーしています。刑法や刑事訴訟法は難しかったですが、予算関連の用語もまた難関。また取材相手との接し方も勉強の日々です。
 3月11日の震災以降、関連する仕事も多くなっています。編集局長にお願いし、4月末から6泊7日で、先輩と2人で宮城、岩手の両県へ行って取材しました。東海・東南海・南海地震では大きな被害が予想されている和歌山にとっても、震災や津波の悲惨さを伝えることに、意味があると思ったからです。
 先日、夏休みを頂いて大阪へ帰りました。大阪駅周辺の都会っぷりと若い女性の多さに驚きと喜びを隠せませんでした。
9月の集い、どんな風だったかまたおしえてください。
(中 陽一)

★近況報告★